2016年9月8日木曜日

WSと整体体験会終了!

整体体験会と「心に効く整体法とお食事講座」 @The Ethnorth Gallery、大盛況のうちに終了しました。
ひっきりなしにお客様がご来場いただき、みなさん本当にいいお顔で出て行かれたので、努力した甲斐がありました。

比較的、年齢の若い女性も多かったのですが、信じられないくらいみなさんお体がこわばり、メンタル面でも不調を訴えている方が多く見受けられました。

今回の施術や講座が、ご自分の体や心への意識をもち、自身の心身のケアをしていくきっかけになってくれればと思います。

ご来場の皆様、スタッフの方々、テキストに可愛いイラストをつけてくれた 栗本かおるさん、どうもありがとうございました!




2016年9月4日日曜日

心とからだのつながり(傘を後ろに振って歩く人)

こんどのワークショップでやる内容を色々と考えています。
「心と体のつながり」というところで、セルフケアのやり方やお食事について伝えられれば良いなと思っているんですが、その参考になりそうなとても面白い話を聞きました。
(今回のブログはちょっとややこしい内容ですが、ワークショップはとても簡単な内容でお話しします)

尹雄大(ユン・ウンデ)さんというインタビュアーの方と七尾旅人さんという歌手の方のトークイベント。
尹さんは身体論についての本を幾つか出されているんですが、その尹さんが、最近、人ごみの中でも傘を後ろに大きく振りながら歩いている人が多い。それはマナーだけの問題じゃなくて、今の世の中の前へ前へより速くという雰囲気がいつの間にか体に染み込んで、自分の後ろへの意識が希薄になっているんじゃないか、ということをおっしゃっていて、なるほどと思いました。

世の中の雰囲気が、人々の意識に浸透して、さらにそれが動きの所作に表れているんじゃないか、ということですね。

この意識が体に表れるということを実感するための簡単な方法があります。
まず、立った状態で、顔は前を向いたまま、自分の体の後ろの空間に意識を広げてみてください。難しく考えず、後ろの空間をなんとなく注意するだけで構いません。
その状態のまま、歩いて前に進んでみると、どこか後ろに重りがついたような感覚があり、速く歩くことがしづらくなると思います。
こんどは後ろの意識は保ったまま、自分の前の方にもその範囲を広げ、自分の体を中心として、丸い意識の領域が広がっているようなイメージを作ります。
これも何となく自分の周り全体に注意する程度で結構です。
そうすると、自分の体を中心点として、意識のドームが出来上がります。この状態では、ドームの中の状況が鋭敏に感じられるようになります。武術でいう間合いのようなものですね。また、どこか今いる場所に自分が落ち着いている、留まっている感覚があると思います。進んだり、後退しているのでなく、そこに居る状態のイメージです。
そして、最後にその意識の空間を自分の前方にだけ限定してみます。こんどは速度が増し、前方に向かいやすくなる感覚が得られると思います。

これは、自分の意識が広がっている空間が、自分の体が向かう方向とリンクしているという実験です。
対談では、先ほどの、傘を後ろに大きく振っている人は意識が前方にだけ伸び、自分の後ろの空間や時間が無いものとなっている、ということでした。
空間というのは時間とほとんど同じものなので(A地点からB地点という空間を移動するには、相応の時間がなければ行えません)、その人は、これから先の時間に極端に意識が振れて、スピード感をフルに出している状態です。そのように普段の生活で意識の方向性が凝り固まってしまい、立ち止まって考えたり、ゆっくりと時間をかけて過去を振り返ったりできなくなっているのかもしれません。


体というのは、見事に環境を映し出します。 社会環境や居住空間、気候や人間関係、もちろん職業によっても大きく変化していきます。
「より速く、より合理的に」という雰囲気が、いつの間にか体を社会化して、そこから振り落とされないように適応してしまっているとしても不思議ではありません。

尹さんのお話しを見聞きして気づいたのですが、身体論を多く書かれているのに、尹さんの姿勢はいわゆる「いい姿勢」とはほど遠いものでした。
猫背ですし、トーク中に何度ももぞもぞと体を動かしたり、よく指をポキポキと鳴らしていました。それでも、不思議と体に気張ったところがなく、なんとも言えないゆるさのようなものがあり、不思議とこちらまで心身がほぐれてくるようで、こういう方にインタビュアーされたら自然と話が溢れてくるだろうなという印象がありました。

整体の仕事をしているときに、どうしてもいわゆる「いい姿勢」を患者さんにも求めてしまうことがありますが、もしかしたら、その「いい姿勢」も、機能だけを重視し、時代に適応し、強要された役割をこなすための無理のある姿勢なのかもしれない、と考えを新たにしました。